ふと気が付くと、俺は森の中に立っていた。やけに懐かしい気分になるのは、俺が初めてあいつに出会った場所とそっくりの景色だったからだろう。魂と世界の境界がやけに鮮明に感じられて、そこで初めて俺は、自分がこの世界ではっきりと身体を取り戻していることに気付いた。
身体が完全に燃え尽きた後も、俺という存在は完全に消失せずぼんやりと存在し続けていた。どういう理屈かは知らないが、ここではないどこかで実体を得た記憶もいくつかある。そういえば一度、どこかであいつに会ったような気もするが、その記憶だけは夢みたいに輪郭が滲んでいて、はっきりと思い出すことができなかった。ただ確実に言えるのは、どんな場所、どんな状態であっても、あいつのことを忘れたことは一度もなかったということだ。
そもそも俺は本来、この世から消えてやるつもりなんざ更々なかった。だが、いざその瞬間が訪れると、あいつのためにこの身を捨てることに対してためらいの気持ちは微塵も湧いてこなかった。むしろ俺の破滅の美学にぴったりで、そうあれる自分が誇らしくすら思えた。
ただ、戸惑った顔で消えゆく俺を見つめるあいつの表情だけが、未練がましく俺の脳裏に焼き付いていた。
もし俺が幽霊だったのだとしたら、きっとそれが心残りで成仏できねぇ状態だったんだろう。だが、こうやって身体を取り戻した今ならハッキリと分かる。俺は決して、死んだんじゃなかった。ただ単に、復活の瞬間(とき)を待っていただけだったのだ。
こんなチャンスをみすみす逃すワケにはいかねぇ。すぐにでもあいつを見つけに行かなければ——と思ったのも束の間、俺は直感的に、この場に残るべきだと察した。野生の勘、ってヤツなんだろうか?
そのまま辺りをキョロキョロと見回していると、ふと、藪の向こうに人影が見えた。濃いグリーンに、ボリュームのある癖っ毛の——。
「……おいおい、早速ビンゴかよ……やっぱ俺達、ダークなパワーで引き合ってるんだなぁ!」
——でも待てよ、プリパラにいるときのあまりって、いっつもミントグリーンのツインテールじゃなかったっけか?
少し不思議に思いつつも、まぁ、そんなこともあるだろうなんて思いながら、藪をかき分けつつその向こう側へと声を掛ける。
「よっ! あ〜まりっ! 久しぶりだな!」
「え、ええっ!? なんであたしの名前……」
おずおずと振り返ったあまりの姿を見て、俺は思わず息を飲んだ。
茶色い襟のセーラー服に黒いチョーカー、指抜きグローブ——ギターこそ背負ってねぇが、俺を創ったあの頃と全く同じ格好をしている。
一方のあまりは俺以上に動揺した様子で、あんぐりと口を開けて俺をじっと見つめていたかと思えば、急にカッと目を見開き、両手をわたわたと宙で泳がせ始めた。
「……ちょっ、えっ……ま、マリオ!? マリオなの!? 本当に!?」
「当たり前だろ? なんだよ驚いちゃってぇ、そんなに俺に会いたかったのか〜?」
笑いながら冗談交じりにそう返すと、あまりははたと動きを止めた。俺を見つめるあまりの瞳が、涙をたっぷり携えてゆらゆらと揺れている。そのまま泣き出しちまうんじゃねぇかと思って一瞬ギョッとしたが、あまりはすぐに満面の笑みを浮かべた。
「……うん、マリオ……!」
あまりから溢れ出すオーラは文字通りキラキラと輝いている。俺はキラキラベタベタなんてクソ食らえだと思っていたが、こればっかりは悪くねーもんだと素直に思えた。
「あたし、マリオに会いたかった……ずっとずっと、マリオが迎えに来てくれるのを待ってた……!」
いつもなら減らず口を叩いてばかりのあまりだが、今日に限ってはやけに素直だ。久々の再会で浮かれてんのか? 可愛いヤツめ。
「……フッ、やっぱりお前には俺が必要ってワケだな……復活した甲斐もあるってもんだなぁ!」
俺はそう言って、高笑いをしながらポーズをキメてみせる。あまりの様子をチラリと横目で盗み見ると、あまりは口元を押さえながら、目を輝かせて俺の姿に見惚れていた。
「……か……かっ、カッコいい……っ!」
カッコいい——それは、俺があまりの口から最も聞きたかった言葉のうちの一つだった。俺はあまりの夢であり、理想であり、憧れであるべきで、その言葉は俺のそういう“あるべき姿”を評するモンだからだ。
「う〜っ、さっすがあたしの考えた最強の推し……!! 衣装もそのまんまだし、これっていわゆる完全再現ってやつ!? ていうか実体になってもこんなにカッコいいなんて……」
俺が静かに感動を噛み締めている間にも、あまりは何やら興奮気味にぶつくさと言葉を唱えながら、俺の頭のテッペンから爪先まで舐め回すように眺めている。
かと思ったら、突然ピタリと動きを止めて、悲鳴のような声を上げた。
「……え!? 実体!? なんで!?」
「ハッハッハッ、お前も待ってたんだろ? 冥界の闇より舞い戻りし、この俺様の復活の刻を……!」
「そ、そりゃあ、当然そう……だけど……」
あまりはぽかんとした顔で俺を見つめていたが、急に顔を赤くしたかと思ったら、次の瞬間にはサーッと青ざめ始めた。
「やだっ、あたし一人でベラベラ喋っちゃって……えと、あのその、違くてぇ……」
「嬉しすぎてテンション上がっちまったんだろ〜? つーか、お前もやっと俺のカッコよさを思い出してきたんだな! そーかそーか、偉いじゃねーかあまりぃ〜」
そう言って頭を撫でてやろうと手を伸ばしたら、あまりはぴくりと固まって、ぎゅっと目を閉じちまった。それから一拍置いて、恐る恐るといった様子で目を開く。
うっすら紅く染まった頬、熱っぽく潤んだ瞳。恥じらうみたいな反応を見せるあまりに驚いて、俺はついうっかり手を引っ込めちまった。やり場のなくなった手で、ぐしゃぐしゃと自分の頭を掻きむしる。
——久しぶりに会ったせいか? よく分かんねぇけど、なーんか調子狂うぜ……。
「……あー……そんであまり、お前今日予定あんのかよ」
黙っているのも気まずくて、意味もなくそんなことを訊ねてみると、あまりは黙ったままふるふると頭を横に振った。プリパラでのあまりはいろんなヤツに囲まれてて、暇なんてなさそうに見えたもんだが、毎日そうって訳でもねーんだな。
「へぇ……んじゃ、今日は俺と遊ぼうぜ」
そう誘うと、あまりの表情がぱぁっと明るくなる。期待に満ち溢れた目で俺を見つめながら、こくこくと強く頷いた。
「で、あまりは何がしてぇんだ?」
「ええっ!? その、えっ……と……」
さっきまでの勢いはどこに行っちまったのか、あまりは急にしどろもどろになって指先をもじもじと絡ませ始めた。そうやってしばらく考え込んでから、おずおずと俺の顔を見上げてくる。
「ちょっと、急すぎて……でも、マリオと一緒ならきっと、何でも楽しいと思う……!」
いつになく殊勝な態度だ。でも、そんなあまりも悪くないぜ。
「フーン……そんじゃあダンプリにでもしけこむか?」
俺は背中に背負ったギターのネックを掴み、目の前に振り下ろした。ボディが光って変形し、あっという間にバイクが現れる。その光景を、あまりは食い入るように見つめていた。
「ほら、お前も早く後ろ乗れよ」
「えっ、あっ……えっと……」
ギターに跨りながら俺がそう促しても、あまりはおろおろしながらタンデムシートを触るばかりだ。そういや、あまりのことをバイクに乗せてやるのは初めてだったか?
「そこの出っ張りに足掛けて上がってみ?」
目線でステップを示してやると、あまりはやっと乗り方の勘を掴んだようで、背中越しに何やらもぞもぞやっているのが伝わってきた。そのまましばらく待っていると、あまりの両手が控えめに俺の腰を掴むのが分かった。
「……お、お邪魔します……!」
——タンデムしたら抱きついてくるもんだと勝手に思ってたんだけどな。ま、緊張気味なあまりも、これはこれでイイもんだ。
鼻歌を歌いながらエンジンをふかしてスピードを上げると、後ろからあまりの小さな悲鳴が聞こえた。
◇ ◇ ◇
「……えっ、なんで!? どうして!?」
ゲートを潜った瞬間、目の前にノートが……アイドルノートが浮かんでいた。一瞬頭が真っ白になったものの、咄嗟に手を伸ばしたのに、その瞬間ビュンと強い風が吹き、ノートはあたしの手をすり抜けていってしまった。呆気に取られたあたしは、森のほうへ飛ばされていくノートの姿をぼんやりと眺めるしかなかった。
昨晩、何故だかなかなか寝付けず、ノートを引っ張り出してきてぼんやりと眺めた後、机の上に置いたままにしていた。今日のゲートは机の引き出しの中にあって、特に何も考えずそのまま飛び込むみたいに中に入ったのだけど、その時にノートが引っかかって、中に落ちてきてしまったんだろう。
あのノートには、これまでのあたしの夢がぎっしりと詰まっている。それに、マリオが消えてしまって以降、ページが欠けたあのノートこそが、マリオが存在していた証だったのに。それを丸ごとなくしてしまうなんて——なんていうか、すごく、困る。
「……このままじゃダメだ、絶対に見つけなきゃ!」
そう思って森の中に入り込んではみたものの、プリパラの森は想像以上に広大で深すぎる。いつかポォロロちゃんを探しに来たときですら、まぁまぁ難航したっていうのに……ポォロロちゃんよりも何十倍、いや何百倍も小さなあのノートを見つけ出すなんてこと、果たして本当にできるんだろうか?
想像しただけでも途方に暮れてしまって、あたしはその場にへなへなとしゃがみ込んでしまった。
ふと辺りを見渡すと、木々が鬱蒼と茂っているせいで、真っ昼間なのにどんよりと薄暗い。夢中になって走ってきたせいで、既にかなり奥のほうまで来てしまっていたみたいだった。どうしよう、あたし、もしかして早速道に迷ってる……? やっぱり、こんなあたし一人じゃ、ノートなんて見つけられっこないんじゃないの……?
ネガティブな感情に支配されかけて、お腹を抱えるみたいにうずくまると、パーカーのポケットの中に何か硬いものが入っていたことに気付く。そっと手を入れて引っ張り出すと、それはあたしの大事な大事なアイドルキーだった。
——そうだ、ここはプリパラ! プリパラの中のあたしは、余っていないんだ!
誰かに相談してみたら、きっと何かいい方法が見つかるはず。……そうだ、まずはポォロロちゃんに手伝ってもらおう! 森の上から探したら、少しは早く見つけられるかもしれないし……!
そんなことを考えながら勢いよく立ち上がろうとした瞬間、何かが右腕に軽く触れるのを感じた。驚いて反射的に避けようとしたせいで、あたしはそのままバランスを崩し、どすんと尻もちを付いてしまった。
「きゃあっ、……わっ! やだっ、何!?」
地面に座り込んだまま、右腕を擦りながら恐る恐る右のほうへ顔を向ける。そして視界に入ってきたのは——黒いブーツ、スタッズだらけのボトムス。
「……って、えっ……!?」
慌てて頭を上げると、そこには、いるはずのない人物がじっと佇んでいた。
「……よぉ、久しぶりだな、あまり」
「ま、マリオ……!?」
マリオは腕を組み、口角だけをわずかにつり上げながら、静かにあたしのことを見下ろしている。
「な、なんで……どうしてこんなところに……」
呆然とするあたしに、マリオが右手を差し出してくる。払いのけることも無視することもできなくて、あたしはそっとその手を掴んだ。
ぐい、と引っ張り上げられて立ち上がった後も、マリオはあたしの手を離してくれない。それどころか、あたしの手の甲を親指でスリスリと撫で付けてきたりしてきたもんだから、驚いたあたしは無意識にその手を振りほどいてしまった。
「ちょっ、……か、勝手にいなくなって、また急に現れるなんて、どういうつもりなの!」
「魔界から俺を呼んだのはお前のほうだろ? あまり……」
「はぁ!? もう、ワケわかんないよ……!」
そう、いつもそうだ。いつもマリオはこんな風に、意味の分からないことばかり言ってくる。でも、そんなマリオさえ今は懐かしくて、鼻の奥がツンと痛む。唾をグッと飲んで小さく溜息を吐くと、そんなあたしの様子に気が付いたのか、マリオはフッと鼻で笑った。
「何だよ、よっぽど俺に会いたかったみたいじゃねえか」
「ち、違う! でも、……だって……もう二度と会えないかも、って思ってたから……」
マリオがいたときよりも、日々はよっぽど穏やかに過ぎて行っていた。プリパラで過ごす時間はとっても楽しくて、そのお陰か、現実の高校生活を充実させるための勇気も湧いてきて……あたしは十分すぎるくらい〝大丈夫〟でいられていた。
それでも、ふとしたときに、たまに思い出してしまうのだ。マリオがあたしの目の前で燃え尽きてしまった、あの瞬間のことを。
あたしは結局最後まで、マリオのことを完全には受け入れてあげることができなかったように思う。なのに、マリオは今のあたしの気持ちを汲んで、あたしを庇って消えてしまった。お陰であたしは今を楽しめているけど、本当は何かもっといい方法があったんじゃないかって、ずっと胸がチクチクしていて……もしやり直せるなら、もっとマリオのことを大事にしてあげたらいいな、なんてことを考えていた。
でも、こうやって実際また目の前にマリオが現れても、あたしは手放しで喜ぶことさえできていない。
当たり前だけど、嬉しくないわけじゃない。ただ、あまりにもいきなりすぎて気持ちが追いつかなくて……それにやっぱり、普通の友達みたいにマリオに接することは、なんだかとてつもなく難しいような気がしてしまう。
あたし、どうしてマリオにだけは、こんなに素直になれないんだろう。
なんだかどんどん気まずくなってきて、あたしはマリオから目を逸らして俯く。会話のきっかけを探しあぐねたまま、爪先で地面をぐりぐりと踏みつけていると、急にマリオがあたしの手首を掴んできた。
「……なぁあまり、おもしれぇ場所を見つけたんだ。連れてってやるよ」
「ええっ、ちょっと何よ急に……!」
マリオはそのままあたしの手を引いて、更に森の奥へと足を進めていく。あたしは為すすべもなくマリオに付いて行きつつも、なんとなく、さっきまでのモヤモヤが少しずつ和らいでいくのを感じていた。
◆ ◆ ◆
「おい見ろよ、女子がいるぜ!」
「一緒にいるのマリオじゃね? 相変わらずヤンチャしてんな〜」
「つーか、なんでヒツジ着てねーんだ? アレってルール違反だろ?」
野郎どもの視線が、俺とあまりのほうに集まって来ているのをヒシヒシと感じる。
ヒツジだかヤギだか知らねぇが、ルールなんてどーでもいいぜ。大体、ヒツジなんて着なくてもあまりは今、普通にココに入れてるんだ。
ちらりとあまりのほうに目線をやれば、あまりは外野の声なんざ意に介さないみてぇに、ダンプリの町並みをキョロキョロと眺めていた。
——ルールを破っても毅然としてるあまり、イカすじゃねーか。流石は俺の女だぜ。
「ねぇマリオ、あたしたち、何して遊ぶ?」
目が合ったあまりが、俺にそう尋ねる。やっぱりココに連れてきてやったのは正解だったみてぇだ、声のトーンだけでもはしゃいでるのが丸分かりだ。
「何でもいいけどよ……あまり、今お前が一番したいことって何だ?」
俺からの質問に、あまりはしばらくウンウン唸って頭を抱えていたが、突然何かひらめいたように目を見開いて俺を見た。
「あたし、マリオのライブが見たい……!」
「ライブ? そんなことでいいのかよ」
「だって、想像してただけで見たことないんだもん。見せてよ、魔界のトップアイドルのライブってやつを!」
俺を見つめるあまりの目が爛々と輝いている。こんなに熱烈に求められるなんて、願ったり叶ったりだ。
「……あぁ、いいぜ、スゲーのを見せてやるよ!」
俺はあまりを連れてライブ会場に入り、そのまま内部通路を通って舞台袖のほうへと向かった。会場乱入には慣れている。つーか未だに見張りも付けてねーなんて、プリパラのセキュリティってガバガバ過ぎねぇか?
「……えっ、あれ? ここってもうステージだよね?」
「おー、そりゃ今からライブすんだからな」
「あのぉ、あたし……客席に行かなくていいの?」
「あんな野郎まみれのとこにあまり一人置いとけるかよ。それに、どうせなら一番近くで見せてやりてぇだろ?」
そう耳打ちしてあまりを舞台袖に残し、前の奴のライブが終わった瞬間、俺はステージの上へと乗り込んだ。困惑する客たちのざわめきを背景に、MCのメガネ野郎が、不思議そうな顔で俺のことを眺めている。
「おや、マリオさん? お久しぶりですね! ただ、今日はマリオさんのライブ予約は入っていなかったはずですが……」
「予約なんてどーでもいいぜ。一曲やらせろ」
「そういう訳には……」
「あ゛ぁ? あまりがライブ見てーっつってんだ、おっさんはすっこんでろよ!」
「おっ、おっさん!?」
一発恫喝しただけで、メガネのおっさんはガラス板みたいにバラバラに砕け散った。チョロいもんだぜ、乗っ取り成功だ。
舞台袖からこっちを不安げに見つめているあまりに向かって、俺はハンドサインを飛ばした。それから、会場に向かって声を張り上げる。
「おいお前ら! 地獄から帰ってきたこの俺様の、最初の宴に立ち会えたことに感謝しろよ……全力で盛り上がって、その歓声をあまりに捧げろォ!」
歓声とも怒号とも分からねー声が会場内を埋め尽くす。次の出順の奴のファンが文句を言ってる声も聞こえてくる。だが、どんな野次が飛んできたとしても、ライブさえ始まっちまえばここにいる全員俺に魅了されちまうことは分かりきってんだ。
イントロのギターリフを掻き鳴らし始めた瞬間、会場の空気が変わった。アウェーだったはずの会場が、徐々に熱気で包まれていくのが肌で分かる。これだからライブは辞められねぇ。それに……今日はあまりもここにいる。
あまりのギラギラした視線が、痛いくらいに俺の右半身に突き刺さっている。演奏中に何度か視線を送るたび、レーザーみたいにまっすぐ俺を見るあまりと目が合った。
今、俺はまさに、俺にあるべき人生を取り戻しているんだ。そんな実感が湧いて、脳みその奥がヒリついた。
トルネードでぐちゃぐちゃになった会場を後にしてあまりの元へ近付くと、あまりは袖幕にしがみつきながら、恍惚とした表情で俺のことを眺めていた。
「さ、行こうぜ」
こくりと頷いたあまりと共に、通用口を抜けて会場の外を目指す。その間、あまりはずっと黙ったまんまだったが、あまりの全身からビリビリと空気を震わすみたいな興奮が漏れ出ているのはハッキリと伝わってきた。
「どーだったよ、俺のライブ」
出口のドアを押し開けながらそう尋ねると、あまりはガバリと頭を上げて食い入るように俺を見つめた。
「ほんっっとにかっこよかった……! 最高すぎる!! 歌もギターも、それにサイリウムトルネードも! 全部全部あたしの理想通りで……」
「そりゃー当たり前だろ、お前が望んだ通りの最強で最高の俺だぜ? ハハッ、俺の魂の轟き、しかと受け取ったみてぇだな!」
キメ顔でそう言うと、ドアをくぐり抜けたあまりは両手で頬を押さえながら、うさぎみたいにぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「……す、素敵すぎる……! ほんとにほんとに超最高! あたし、こんなに楽しくて幸せなの、生まれて初めてだよ……!」
「そーかそーか!」
「毎日最悪なことばっかりでうんざりしてたけど、やっぱりマリオがいてくれたらこんなに楽しいんだ……!」
「ハッハッハッ、そーだろ……ん?」
——こいつ、今、プリパラとかガッコーとか、上手く行ってるはずなんじゃなかったか? つーか、そのために俺はあまりを庇ったんだったよな……? そんな奴が今更、こんなこと言うか?
一瞬疑問に思ったものの、目の前ではしゃぎ回るあまりを見ていると、なんだか全てがどーでもよくなっちまう。
「そんで、次は何がしたい? あまりの願いなら、この俺様がなんでも叶えてやるよ!」
「えー、どうしよっかな! やりたいこと無限にあって、迷っちゃうよ〜」
無邪気にケラケラ笑うあまりを見ていると、幸せってこういうことなのかもしれねぇな、なんて感慨すら湧いてくる。
そうこうしていると、ふと、向かいから見覚えのある三人組が歩いてくるのが見えた。
「あーっ! あれ、マリオじゃね!? チョー久しぶりじゃん!」
アサヒのデケェ声が辺りに響き渡る。それを聞いたあまりの肩が、視界の隅でぴくりと跳ねた。
せっかくのあまりとの逢瀬をこいつらに邪魔されるのが癪すぎて、そのままガン無視をキメて通り過ぎようとしたものの、目の前に三人が立ち塞がってきたせいでそういうワケにも行かず、俺は仕方なく足を止める。すると、ショウゴとコヨイが次々にあまりの顔を覗き込んできやがった。
「珍しいな、マリオがあまりさん以外の女子と一緒にいるなんて」
おい、馴れ馴れしくあまりの名前を呼んでんじゃねーよ。つか、あまり以外? 何寝ぼけたこと言ってんだよ。
「ヒツジを着てないみたいだけど……その子は友達?」
だからヒツジとかどーでもいいだろうが、真面目か。
口々にワケの分からねぇ言葉を浴びせられたせいか、あまりは半歩後ずさり、俺の後ろに隠れちまう。
——いや、つーかこいつら、マジで一体何を言ってやがんだ?
「ハァ? お前らの目は節穴かよ、こいつはどう見たってあまりじゃねーか」
そう突き返すと、三人は顔を見合わせて不思議そうな表情を浮かべ、再びあまりのことを眺め始めた。つられて俺も振り返ると、あまりは俯いたまま、俺のジャケットの袖をぎゅっと掴んでいた。よく見ると、その手は微かに震えている。
「……もう行こう、マリオ」
蚊の鳴くような声でそう言ったあまりは、俺の袖から手を離し、三人の横を足早に通り過ぎて行った。
「あっ、おい待てよ! あまり!」
俺は慌ててあまりの後を追う。後ろで三人が何かボソボソと話しているのが聞こえたが、内容までは聞き取れなかったし、そもそも心底どーでもよかった。
「なぁ、いいのかよ? あいつら、お前が助けようとしてたヤツの兄貴達なんじゃねーのか?」
「……知らないもん、そんなこと……」
あまりはじっと俯いたまま、絞り出すようにそう呟いた。まるで今にも泣き出しちまいそうな声色だったせいで、俺の中に焦りのような感情が湧き始める。
——もしかしてこいつ、あいつらと喧嘩でもしたのか?
「おいあまり、どーしちまったんだよ急に……」
「……他の人のことなんてどーでもいい、あたしにはマリオしかいらないの」
まるで自分に言い聞かせるみたいにそう言ったあまりが、はたりと立ち止まって俺の手を握る。咄嗟にあまりの顔を見ると、あまりは目に涙を溜めて俺のことを見つめていた。
「誰かがいるとつまんない、マリオと二人だけになりたいよ……」
ひどく傷ついたような表情のあまりを見ていると、喉の奥がギュッと詰まる。同時に、妙な違和感がじわじわと俺の脳裏を支配し始めてきた。
今日のあまり、なんかやっぱ、ちょっと変じゃねーか……?
◇ ◇ ◇
マリオに手を引かれるがままに歩いていくうちに、あたしはすっかり森の奥深くまでやってきてしまっていたみたいだった。歩けば歩くほど辺りはしんと静まり返って、生き物の気配すら感じられない。
「ねぇ、マリオ、これ、どこに向かってるの……?」
「いいから付いてこいって」
不安な気持ちで歩き続けていくうちに、目の前に小さな洞窟が現れた。ちょうどあたしの背丈くらいの穴の中に、マリオが足を踏み入れる。奥から流れてくるひんやりとした空気に鳥肌が立って、思わずぎゅっと目を瞑りながら身をすくめてしまった。それから恐る恐る瞼を開くと、いつの間にかそこは真っ白な空間に変わっていた。振り返ってみても、来たはずの道は見当たらない。
「……えっ、なにここ……?」
「なぁあまり、お前の望みはなんだ?」
「ちょっと待って、理解が追いつかないんだけど……」
「何でもいいんだぜ、好きに願ってみろよ」
願いだなんて、そんなこと突然言われても……プリパラは十分楽しいし、学校生活もちょっとずつ上手く行き始めてるし。案外ピンと来るものがなくて、困り果てたあたしは助けを求めるみたいにマリオの顔を眺めた。
その瞬間、ふと思ったのだ。せっかくマリオが帰ってきたんだし、どうせならこれからもっと、マリオと仲良くなれないかな、と。普通に遊んだりして、もっと友達みたいになれたら、あたしももうちょっとだけマリオに素直に接してあげられるんじゃないだろうか?
すると、真っ白だった空間がぐにゃぐにゃと色を変え始め——気が付くとそこは、遊園地のような場所になっていた。
「……えっ、えええっ、ちょっと……本当に何なのぉ!?」
相変わらず人の気配は一切ないけれど、賑やかな音楽が鳴り響いていて、アトラクションも動いている。
「どうだ、すげーだろ? さぁあまり、今日は思いっきり遊ぼうぜ」
マリオはそう言って、仰々しく手を広げてみせる。……こいつ、相変わらずカッコつけたがりなのね。まぁでも……ここってプリパラだし、こんなこともある、のか?
さっきまでの薄暗い森とは正反対の、明るくて楽しげな雰囲気に包まれていると、それだけで少しずつ気分が上がってくる。
——ちょっとビックリしたけど、どうせなら楽しんだほうが得だよね? そう思ったら、なんか細かいことはどーでもよくなってきた!
「……よしっ、マリオ、早速ジャンジャン乗ってこう!」
ジェットコースター、回転ブランコ、メリーゴーランドにバイキング——視界に入ったアトラクションに、片っ端から乗っていく。あたしたち二人だけしかいないから、順番待ちなんてものも存在しない。遊園地の貸し切りって、思ったよりもずっとずっと最高だ!
そんな風に遊び回っているうちに、めぼしいアトラクションはサクサクと制覇してしまった。さて次は何に乗ろうかな、なんてウキウキで園内を歩き回っていると、ふいに、おどろおどろしい見た目の建物が目に飛び込んできた。
「うわっ、なにこれ……えーっと、ゾンビ退治?」
説明書きを見てみると、銃でゾンビを倒しながら中を進んでいく体験型アトラクションのようだった。
こういうの、一人だったらなかなか入りづらいけど……でも、マリオがいる今だからこそ楽しめちゃうんじゃない? それに、マリオってよく機関銃みたいなのぶっ放してるし、きっとこういうのも得意なはず!
「よーし、これも入っちゃお〜!」
なんて、軽いノリで入ってみたはいいものの……入口を抜けた瞬間、思ったより何十倍も不気味な空間が広がっていて、あたしは銃をぎゅっと握りしめたまま、マリオの右隣にぴったりと身を寄せた。
——やばい、これ、一人で入ったら絶対即ギブアップしてたやつだ。マリオがいてくれてよかった……。
そんなことを考えたのも束の間、急に横からゾンビが飛び出してきた。……待って、リアルどころの騒ぎじゃない。これ、本物のゾンビなんじゃないの!?
「キャーーーーッ!!」
ありえないくらい大きな悲鳴を上げた瞬間、腰が抜けてずるりとその場に座り込んでしまった。身体を起こそうとしても、足が思ったように動かない。どうしよう、襲われる……!
その瞬間、パン、と乾いた音がして、ゾンビが後ろにゆっくりと倒れていった。見上げると、銃を構えたマリオが目線だけあたしのほうへ下ろして、フッ、と不敵な笑いを浮かべている。
続けざまに四方からわらわらと這い出してきたゾンビの群れも、マリオは最小限の動きであっというまに全部撃ち落としてしまった。
「とりあえずこの部屋にいるのは全部ぶっ潰したぜ。ほらあまり、立てるか?」
「う、うん……」
マリオに手を引かれて立ち上がるけど、あたしの脚はまだちょっとだけ震えている。そんなあたしの様子を見てか、マリオはあたしを守るみたいに立ちはだかりながら、次の部屋へと続くドアを開いた。
——対立してた頃は強敵だったけど、味方になったマリオって、やっぱりずっとずっと頼りになるんだなぁ。
そんなことを考えながら、マリオの後ろ姿をじっと見つめる。
でも、なんていうか……なんか、ちょっとスマートすぎやしない? マリオって、あたしがこんな風にすっ転んだり叫んだりしたら、そりゃもちろん助けてはくれるけど、なんていうか、もうちょっとからかってきたりしそうな気もするもんだけど……。
……あれ? そうだっけ? なんでそんな風に思うんだろう。あたし、そんなことノートに書いてた?
そう思った瞬間、前方からまたゾンビが飛び出してきて、あたしは情けない悲鳴を上げながら、咄嗟にマリオの背中にしがみついた。そのまま、あたしはほとんど何もできないまま、マリオのお陰でなんとかノーデスでゴールを迎えることができた。出口の扉を開くと、外は太陽が燦々と照りつけていて、あまりの眩しさに思わず顔を顰めてしまう。
「……はあぁぁ、めっちゃくちゃ怖かったぁ……マリオあんたすごいわね、全然平気そうじゃない」
「あんな雑魚にビビってちゃ魔界の王なんて務まんねぇだろ? ……お、ちょっとここで待ってろよ」
マリオはあたしをベンチに座らせて、近くにあった売店のほうへとスタスタ歩いて行ってしまった。しばらくして戻ってきたマリオの手にはクレープが握られている。
「ほら、これ」
「え、いいの?」
「お前も腹減っただろ?」
そう言って手渡してきたのは、いちごチョコの包まれた生クリームクレープだった。いい匂いに誘われて一口齧ると、口の中が甘さと酸っぱさでいっぱいになって、さっきまでゾンビに怯えてたことなんてすっかり吹き飛んじゃうくらいの多幸感に包まれた。
「おいしー! マリオってば、食べ物のセンス悪くないじゃん!」
——ゲッ、しまった、ついうっかり褒めちゃった。こいつ、絶対調子乗るでしょ……。
そう思ってチラリとマリオの顔を見たけど、マリオは黙々とクレープを頬張りながら、あたしの顔をじっと見つめているばかりだ。
「……おい、あまり」
「ん? なぁに?」
ふいにマリオがあたしの名前を呼んだので、体ごとマリオのほうを向き直す。次の瞬間、マリオの手のひらがあたしの頬を包み込むみたいに触れて、親指が口の端をそっと拭った。呆気に取られていると、マリオはその指先をペロリと舐めてみせた。
「えっ……なっ……はぁっ……!?」
「クリーム、付いてたぜ」
「……やっ、やだぁ! もー!!」
あまりにも居た堪れなくなって、あたしは拳を作ってマリオの肩をドカドカと叩いた。でも、マリオはそんなあたしを見ながら、フッと軽く笑うばかりだ。
何こいつ、なんでこんな冷静な感じでいられるわけ!?
——ていうか、ほんと、なんでこんなに落ち着いちゃってるの? マリオって、なんかもっと騒がしくて、頼むから黙ってて欲しい、なんて思っちゃうような奴だった気がするんだけど……一体どういう心境の変化?
それに、そのせいなのか、よくよく考えてみたら今日はマリオと禄に話もできていない。
でも、そもそもあたしたち、何を話せばいいんだっけ……?
よく分からなくなってきて、あたしは無心でクレープを頬張った。今度は口に付かないように、一口食べるたびにペーパーナプキンで口を拭いつつ。
「じゃ、そろそろ行くか」
そうやって全部食べ終わったタイミングで、マリオがベンチから立ち上がった。つられて、あたしも立ち上がる。
——うーん。やっぱり、なんか、楽しいけど……いやほんと、それなりにちゃんと楽しいんだけど。でも、なんでだろう、何かが物足りないような気がするというか……。
今日のマリオは、前よりもずっとあたしに優しくしてくれてばかりなのに、何かが違うような気がして仕方ない。
もやもやしながら歩みを進めていると、マリオが急にあたしの肩を抱き寄せた。
「なぁ、次はこれに乗ろうぜ」
見上げると、あたしたちはいつのまにか観覧車の前に立っていたようだった。マリオは乗り場へと続く階段を二段ほど上がり、振り返ってあたしのほうへと手を差し伸べてくる。
逆光で、マリオの顔に影が指す。その笑顔を見ていると何故か胸がざわつくけれど、その理由もよく分からないまま、あたしはマリオの手を取った。
(※サンプルここまで/続きは同人誌でお楽しみください)
